「そうさせている男性の存在は無視して、女性だけを問題にして非難することが当たり前になっている」「常に女性に制限を課している」~いずれも「持続可能な魂の利用」(松田青子作)のワンフレーズです。
読みながら「そう!」と膝を打ちたくなりました。
妊娠した女子高生への自主退学の強要について、ネットで読んだことがあります。「妊娠」という結果をもたらしたのは彼女ひとりの責任ではないはず。そこには相手の男性の存在があるはずです。なのに、その相手の男性は責められることなく、妊娠した女子高生だけが非難され、退学を強制される。なんだかおかしい、と思った人は私以外にも居るでしょう。
また、「女性が夜遅くに出歩くものではない」「そんな服装をしているから…」という声を聞いたことはありませんか? 「危険だから」という理由で女性の行動に制限を加える、あるいは自ら行動を制限する。このような例はいくらでもあります。
小説の中で、こういった女性への非難、制限は「おじさん」がつくった社会のあり方によるものなのだ、と登場人物たちは気づきます。そして、それに反撃していく。時にニヤリとさせられながら一気に小説を読み終えました。
「おじさん」は中高年の男性を指しているわけではない気がします。行き過ぎた「自己責任」論など、「おじさん」的なものは年齢、性別を問わず私たちの心の中にも少なからずあります。誰もが息苦しさを感じない社会をつくるためには、私たちの中の「おじさん」を消していくことが大切なのかもしれません。
「どんなベクトルであろうと出しきったものは強い」。やはり小説の中にあった一節に、
励まされた気がします。
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